上海の公園に咲く白梅 |
何故、特定の宗教を信仰するのか…
信仰することによって、詰まるところ、自分が“救われる”と思っている/感じているからでしょうね。
それ以外の理由もあるかも知れませんが、それは宗教組織の支配者層におられる方々が持っているかもしれない理由でしょう。
自分が救われ、心に余裕がでてくると、他の人達も救って上げたいと思い始めても不思議はありません。
指導者達にその必要性を説かれたら、尚更でしょうね…(-_-;)
歴史上では、
時の権力者(支配者)が特定の宗教をより効率的な支配/領土拡大のために利用するか、あるいは、弾圧するかの何れかだったのではないでしょうか…
邪悪な宗教に犯されている人々を救うために立ち上がるという聖戦と称される戦いに信者達がその気になって駆り出された…
そのことには、単純に納得できます。
キリスト教世界を震撼させたオスマン帝国の崩壊(1922年?)によって、イスラム教世界はキリスト教世界に対して表面的に従順になったと言えそうです。
まあ、イスラム教からすれば、野に下ってチャンス到来を待つという気持ちだったのかもしれませんが…
それが現代まで引きずられているかのようにイスラム教の信者達に錯覚(?)させ、信者達を利用するテロ組織は大変厄介です。
全てがイスラム教下で正当化されるのですから、堪ったもんではありません…
彼らの世界では、未だに、政教分離がされていないことが元凶です。
異なる宗教間で話せば分かる…なんてことはあり得ないのではないでしょうか。
ならば、“戦争”!?
…実質的に局地戦のような状態ですね。
【ご参考までに】
★ 現在の中東波乱の背景
★ 精神的に統率されている集団は排他的になりやすい
PS.(2018年6月16日)
暇に任せて2004年に出版された新潮文庫「宗教世界地図」立山良司著を読み返してみました。
著者がそれを主張しているわけでは全くないのですが…
宗教は如何に排他的な存在であるかが感じられます。
特定の宗教が政治上の支配者と結び付くことによって、その宗教の持つ排他性と支配者の征服欲が一体化され、悲惨な結果をもたらしてしまうという歴史上の事実があります。
ただ、多種多様な宗教が相対的に存在しているわけではないという点には、興味をそそられますね。
暇に任せて2004年に出版された新潮文庫「宗教世界地図」立山良司著を読み返してみました。
著者がそれを主張しているわけでは全くないのですが…
宗教は如何に排他的な存在であるかが感じられます。
特定の宗教が政治上の支配者と結び付くことによって、その宗教の持つ排他性と支配者の征服欲が一体化され、悲惨な結果をもたらしてしまうという歴史上の事実があります。
ただ、多種多様な宗教が相対的に存在しているわけではないという点には、興味をそそられますね。
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