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| 菜の花畑と富士山 午後のため、ちょっと靄がかかってましたね(^^;) |
まあ、こんなお話は興味の対象にはならないでしょうが、若い時代に考えて友人と議論したこともあるどうでもいいことを以下に小難しくまとめてみました。
『現代社会において法が果たす役割は、単なる禁止や命令の体系として理解されるべきではない。むしろ、法は人間の自由意思を前提としつつ、ある行為に対する結果(罰則)を定めることで、秩序を維持する構造を持っている。その特徴は、命令ではなく条件文の形式によって表現されることにある。
たとえば、刑法における「人を殺した者は処罰される」という規定は、「人を殺してはならない」とは異なる論理構造を持つ。前者は自由な行為の選択を認めつつ、その帰結を提示する。後者は直接的な道徳命令に近い。この差異は、法が個人の行為に対して「選択の余地を与えつつ責任を課す」ことを意味している。
このような法の構造は、自由意思を前提とする倫理的立場と整合的である。カントが「人間を手段ではなく目的として扱うべきだ」と述べたように、法は個人を道具的に従わせるのではなく、尊重すべき主体として位置づける。ゆえに、法の機能とは「禁止すること」ではなく、「選択可能な範囲を明示し、その選択の帰結を社会的に制度化すること」だといえる。
この視点はまた、法と宗教的戒律との違いを際立たせる。宗教的規範はしばしば超越的権威による命令を基礎とするが、法は世俗的合意に基づき、可変性と対話可能性を備える。ゆえに法は、個人の内面的信念を強制することなく、公共空間における共存の条件として機能する。
したがって、法とは、人間の自由意思を前提とした「選択の設計」であり、その設計は常に時代の価値観や社会的文脈と連動する。命令なき秩序、それが法の本質である。』
この理解が絶対的に正しいと申し上げるもりはありませんが、思索への刺激的な波紋となるなら幸いです。

「適正,公平な社会のためには、虚偽は到底必要である」と判決を受けて敗訴しました。
返信削除どうやって生きれば良いですか
私は、虚偽事由で侮辱されて提訴され、敗訴し、様々なものを失いました。
これを提訴したところ、「適正,公平な裁判のためには、裁判では虚偽は必要である」として敗訴しました。(本人訴訟)
弁護士会と日弁連は、当弁護士に対し、「噓をつくことは正当な弁護士行為」と議決して懲戒処分せずに、直後に当弁護士を会長・日弁連役職に就任させており、原告が提訴した時には、「当行為を処分しないからといって、原告(国民)に損害を与えていない」と主張しては、再び争いました。
裁判官たちは、権利の濫用を許し、当理由で原告敗訴としました。
国家賠償訴訟(福井地方裁判所.平成24年ワ第159号)事件を提起したところ、 国は「争う」とし、「適正,公平な裁判のためには、裁判では虚偽は到底必要である」と判決して、原告敗訴としました。
裁判官に深々と頭を下げて喜ぶ国家公務員の方々の姿がありました。
(控訴 名古屋高等裁判所.金沢支部.平成24年(ネ)第267号で敗訴確定)
その後に刑事告発したところ、詐欺罪として受理されました。(時効で不起訴)
近年、再審請求しました。
再審請求では当然に憲法違反を訴えたのですが、再び「憲法違反の記載がない」の決定を受けました。(第一小法廷)(日弁連経歴者所属)
絶望と恐怖があるのみです。
日本は、法による支配(人権擁護)していますか?
さて近年、元裁判官の樋口英明氏は、過去の立派な行動(?)を講演し、ドキュメンタリー映画をも作成したと聞きましたが、 当事件において、詐欺加害者に加担するかのように、「適正,公平な裁判のためには、裁判では虚偽は到底必要である」と法を無視して言い渡したのは、樋口英明 です。
あなたは、詐欺被害で苦しむ人々に対して、このような卑劣な判決を言い渡して来たのですか?
この樋口英明を「正義の人」扱いするのは、妥当ですか。
この判決と原発訴訟の判決の(人間)関係を知っていますか。
この判決の後に原発訴訟の判決をしましたが、そこには共通する人物がいました。
定年後は、承知の通り、この原発判決を執筆等し名声を得るに至っています。
樋口英明は、当初よりこの定年後の構想を描いており、原発訴訟団の弁護士たちには、あとくされなく勝訴する(させる)
ことを望んでいたと思われます。
しかし、その前に目ざわりともいうべき国家賠償訴訟(福井地方裁判所.平成24年ワ第159号)が提起されたのです。
その原審の訴訟詐欺の被告とは、弁護士のTとM等であり、一方の原発訴訟の訴状を書いた弁護士もその弁護士T等だったからです。
定年後を夢みる樋口英明は、当然「虚偽事実を主張して裁判所をだまし、本来ありうべからざる内容の確定判決を取得した」と批難すべきところ、逆に「適正,公平な裁判のためには、裁判では虚偽は到底必要である」と ありうべからざる判決を言い渡したのです。
それでも現在、樋口英明は国民を欺いて 立派な人間として評価され活動しています。