エノコログサ(狗尾草) |
開いた口が…という感想です。
まあ、映画館で放映中に、それは間違っていると叫んで注意されて、表現の自由を侵すな
と息巻いている輩と同類でしょう(笑)
国会議員による討議の場が国会なのですから、国会議員に代わって役人が答弁することは、国会議員(政府)の職務怠慢(放棄)と言えます。
自民党政権が続いていた時代は、誰が首相になっても日本の政治は(良くも悪くも)変わらないと言われたものです。
官僚が政府全体の運営を実質的に行っていたからです。
政府の閣僚達は、役人(官僚)が作成した詳細なプログラム(政策)に従って、発言・決定をしていたわけです。
要するに、閣僚達の多くは、「よきに計らえ」に象徴されるバカ殿様と似たり寄ったりの状態にあったのですよね(笑)
笑っちゃいますけど、それが現実だったんです。
「脱官僚依存」「政治(家)主導」と意気込んでみたところで、50年以上(明治時代からですと140年以上?)も政府の仕事の大部分を実質的に行い、経験と実績を積んできた官僚組織に対抗することは、政治家達の現在の力量では、多分無理でしょう。
そのためには、国会議員たち自身がレベルアップする必要があります。
切磋琢磨して勉強しろ!と声を大にして彼らに叫んだところで、まあ、無理でしょうね。
特に、甘美なお手伝いが出来る官僚たちを直ぐ傍に置く閣僚達が安易に流されてしまう可能性は小さくありません。
それではどうするのか?
そのための国会議員達の意識改革は、制度的に行うのが一番現実的で且つ効果的です。
つまり、国会討論において閣僚(大臣・副大臣・政務官)達の官僚依存を断ち切る「官僚答弁の禁止」は一つの有効な手段になります。
それによって、国会議員たちは、こりゃあ大変だと思い始めます。
一夜漬けでは対応できない知識の集積と、それを使いこなす能力が要求されるのですから、閣僚を目指す議員たちは目の色を変えて勉強しだす筈です。
また、国会議員による国会論戦を通じて、国民の目にも議員達の程度の差があらわに映し出されることでしょう。
議員達の緊張感がまるで違ってきます。
デタラメを通り越してしまったような答弁でも人気があった小泉何とかいうトンでもない方もいらっしゃいましたが……
その後は、国民の意識も向上してきていると信じましょう。
更に、安易に国会議員になろうとする方の数も減ってゆくと思います。
国会議員全体のレベルが向上するでしょう。
様々な効果が期待できそうですが、イイことだらけですよね(笑)
官僚達のミス/背任行為などを糾弾するために「官僚答弁」は必要だからという反論もありますが、レベル(次元)が異なる屁理屈でしょう。
単に別枠で規定すれば済むことですから。
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