有識者とか知識人 -差別用語!?

6/08/2009

マスメディア

ロゴー差別用語

以前から、本タイトルの語句は、差別用語の一種ではないかと思ってます。

マスメディアに頻繁に出現する言葉ではありますが、大多数の庶民が抱くイメージは、余りにも漠としたものではないかと思います。

ネットをチェックしても、現代的用法の定義は載っていないようです。

コメントする特定分野の専門知識を有している人、というようにも考えられますが、マスメディアの用法は必ずしも、そのような立場の人でもなさそうです。

昔々、日本も選挙による議会制民主主義の端緒についた時代に、制限選挙が導入されました。
制限選挙とは、年齢制限だけではなく、それ以外の制限が付加された選挙制度です。

つまり、当時の日本では選挙で投票するための資格に、資産・収入(税金支払額)の条件があったわけです。
(家柄・身分での制限は、貴族院があり、その議員は天皇が任命したということです)

表向きの理由は、知識も社会常識も充分ではない庶民が国政に、間接的であろうと、参加することは国益(国全体の利益)に反するということだったように思います。
(それがイイとかワルイとかいう問題を取上げるつもりは、ここではありません)

つまり、当時の有権者は、今で言う、有識者とか知識人に相当するようですね。

アジサイの咲き始め
額アジサイの咲き始め
日本が原産地です
当時の総人口の2.2%(明治33年)が有権者であったというデータに鑑みますと、現代においてマスメディアがいう有識者・知識人の総数が総人口に占める割合は、似たようなレベルではないかと推論しても妥当ではないかと思っています。

違いは、人口が増大しましたので、有識者・知識人の総人数が大きく増えたことです。

たとえ3%であったとしても約360万人になりますね。

当時の制限理由が妥当なものであったと措定してみますと、日本の大学卒業率が6.1%(2005年-OECD加盟国中14位)になっているといわれる現代において、有識者・知識人という用語で社会の特別階層をイメージさせることは、精神的差別以外の何ものでもないと思います。

関係する分野の「専門家・研究者」とか「充分な経験者」とかの用語の方が、社会的に妥当性がありそうですよね。

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