以前から、本タイトルの語句は、差別用語の一種ではないかと思ってます。
マスメディアに頻繁に出現する言葉ではありますが、大多数の庶民が抱くイメージは、余りにも漠としたものではないかと思います。
ネットをチェックしても、現代的用法の定義は載っていないようです。
コメントする特定分野の専門知識を有している人、というようにも考えられますが、マスメディアの用法は必ずしも、そのような立場の人でもなさそうです。
昔々、日本も選挙による議会制民主主義の端緒についた時代に、制限選挙が導入されました。
制限選挙とは、年齢制限だけではなく、それ以外の制限が付加された選挙制度です。
つまり、当時の日本では選挙で投票するための資格に、資産・収入(税金支払額)の条件があったわけです。
(家柄・身分での制限は、貴族院があり、その議員は天皇が任命したということです)
表向きの理由は、知識も社会常識も充分ではない庶民が国政に、間接的であろうと、参加することは国益(国全体の利益)に反するということだったように思います。
(それがイイとかワルイとかいう問題を取上げるつもりは、ここではありません)
つまり、当時の有権者は、今で言う、有識者とか知識人に相当するようですね。
額アジサイの咲き始め 日本が原産地です |
違いは、人口が増大しましたので、有識者・知識人の総人数が大きく増えたことです。
たとえ3%であったとしても約360万人になりますね。
当時の制限理由が妥当なものであったと措定してみますと、日本の大学卒業率が6.1%(2005年-OECD加盟国中14位)になっているといわれる現代において、有識者・知識人という用語で社会の特別階層をイメージさせることは、精神的差別以外の何ものでもないと思います。
関係する分野の「専門家・研究者」とか「充分な経験者」とかの用語の方が、社会的に妥当性がありそうですよね。
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