「4分の遅延」が語る日本の限界……私たちがブロイラーから脱却する方法

6/11/2009

政治

ブロイラーのような電車内
緑並木の仕切り線

当たり前になった「電車の遅延」という違和感

最近、JRの朝の通勤電車が当たり前のように遅れます。 感覚的にはここ5〜7年ほどでしょうか。以前にも増して「定刻通り」が珍しくなった気がします。

4〜5分程度の遅れなら、車掌さんのアナウンスもどこか形式的。もはや「遅れた理由」すら説明されないことも珍しくありません。いずれは20〜30分の遅れが「覚悟の範囲内」となり、遅刻の理由にすらならない時代が来るのかもしれません。

なぜ日本の鉄道は「正確さ」を失ったのか

遅延の理由は多岐にわたります。 車両トラブルだけでなく、送電線への飛来物、そして少なくない人身事故。最近特に目立つのは「人の線路内立ち入りによる安全確認」です。

安全基準が厳格化したことも一因でしょうが、それ以上に感じるのは「東京一極集中」というシステムの物理的限界です。

最新の制御技術をもってしても、過密すぎるダイヤという「内因」と、予測不能な「外的要因」の板挟みになり、日本の誇りだった「正確な鉄道輸送」は、すでに崩壊の危機に瀕しているのではないでしょうか。

私たちは「効率化されたブロイラー」なのか

輸送経路を完全に隔離する「クローズド・システム化」などの技術的解決策は、今後も進むでしょう。しかし、根本的な問いは別にあります。

「なぜ日本は、地域的多様性のある経済圏を作れなかったのか?」

今の日本のサラリーマンを見ていると、まるで効率化を極めた「卵生産システム」の中に押し込められているようです。そう、まさにブロイラー。

かつて、世界第2位の経済大国に駆け上がる過程では、一極集中によるインフラコストの削減は必要な「過渡期の戦略」だったのかもしれません。
しかし、その先に待っていたのは、中国やインド、ベトナムといった新興国との終わりのないコスト競争でした。

20年前に予見できた未来、そして選ぶべき道

この帰結は、20年以上前から多くの学者が指摘していたはずです。それなのに、なぜ社会は有効な手を打てなかったのでしょうか。

私は、その答えを見出す鍵は「政権交代可能な二大政党制」を根付かせてみることにあると考えています。

「他の先進国でも望まれるようには機能していないではないか」という声が聞こえてきそうですが、それでもなお、選択肢が常にある緊張感こそが、硬直化した制度を改革する力となります。

二大政党制という鏡を持って初めて、私たちは自分たちが置かれた状況を客観視し、次の一歩を踏み出せるのではないでしょうか。

【あとがき】 毎朝の満員電車に揺られながら、「仕方ない」と諦めるのか。それともシステムの歪みに目を向けるのか。まずは、この「4分の遅延」を当たり前と思わないところから、何かが始まる気がしています。

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