学者の社会的価値などと言い始めた時点で、それ自体が問題となってしまうのですが……
学者は未知の世界(分野)……単に知られていないという意味で、それ以上でもそれ以下でもありません……に突進してゆくことに意義があるわけですから、未知の世界に係わることを事前に価値があるとかないとか言うこと自体が論理的矛盾に陥るからです。
しかし、経済学者に対しては、そう言いい気持ちに、どうしてもなってしまいます。
社会経済や世界経済について物申している経済学者たちには、往々にして、結果論的な発言が多々みられます。
何故そうなのか?
経済は「神の見えざる手」に委ねるべきで、事前の対応策のような手段でもって自然の流れに棹さすようなことは、するべきではないと考えているんでしょうか?
そんなバカな筈ありませんよね。
経済活動にはサイクルがあります……要は、誰もが知っている好景気と不景気のサイクルです……経済学者は、このサイクルは経済に本質的に内包されるもので、否定不可能なものと位置づけているようです。
そうであるなら、彼らの研究目標は、サイクルの山と谷の落差を縮小する……望むらくは谷の底上げをすることになります。
その研究成果は、どうなっているんでしょうか!?
相も変わらず、景気が悪化してから後手後手で、しかも旧態依然とした政策だけが目に付きます。
挙句の果てに、低(ゼロ)金利政策が長く続きましたから、有効な金融政策が講じられない状況です。
これでは、かつて言われた、
「社会科学は科学たりえない」
という言葉が思い出されます。

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