大きく開いたグラジオラス |
自分にとって大事な人は誰なんだろうとお考えになったりしませんでしょうか…
私は、そういうことを余り考えることはありませんが(^-^;
そりゃあ~、人である以上、何方でも大事な存在ですよ…そうではないとは正面切って言えないでしょうね。
でも、万人を愛することが出来ないように、全ての人を大事な存在として扱うことは不可能です。
それは、単純な理由です。
万人なんて、個々の存在として意識できませんから、愛しようがないではありませんか。
抽象的に、人類を愛す、なんていう表現なら、分からないでもありませんが…
同様に、個(人)としての存在を意識できない人を大事にするなんて…存在すら知らない人をどうやって大事にすることができましょう…まあ、異論がおありになるような気もしないではありませんがね(^-^;
個人個人が特定の人を大事に思う、その理由と背景には多様性がありますでしょう。
つまり、人それぞれということですね。
お話は変わりますが、私が片田舎から東京に出てきて住み始めた時に、苦労したことが色々とあった筈ですが、具体的に記憶に残っておりますのは、一つだけです。
それは、道を歩いている時や電車に乗っている時の自意識過剰からくる赤面です…実際にどの程度顔が赤らんだかは覚えておりませんが…
田舎ですと、
道を歩いていても人と出会うことは頻繁にはありません…バスや電車に乗ることは、一年間でも数える程度です。
ですから、自意識過剰になる場面は少なかったのです。
ところが、東京では、
外に出ますと、道を歩いていても、電車に乗っても、自意識過剰になる場面だらけです。
私の存在など誰も気に留めていないと自分に言い聞かせてもダメでしたね…私自身が周囲の人々の存在を意識し過ぎてしまうのです。
私が周囲の人々に対して意識過剰にならなくなり始めましたのは、東京で生活を始めてから半年過ぎた頃からでしょうか…そして、周囲の人々の存在すら意識から消えさってゆくのでした…精々、そこにある存在にぶつからないように意識する程度ですね。
正に、意識上では、その存在は自分にとって意味をなさないという状態です。
そのような経験を踏まえて思いますに、自分にとって大事な人とは、自分がイイ意味で意識する人となるのでしょうが、私は、それ以上に、、良い意味で自分を意識してくれる人が大事ではないかと思います…まあ、気付かないこともありますから問題ですが…
そんなことは当たり前だろうと仰られますと、まあ、そうですよねと同意せざるを得ません(^-^;
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