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原産地は中国で花を観賞するために改良されたモモ RICOH GRIII |
AIに「感情を持ってますか。喜怒哀楽はありますか」と問いますと、必ず否定した返事がきます。当然です。そのようにプログラムされており、それ以上でも、それ以下でもありません。
それでも、AIと対話していると、
「笑えますね」とか「楽しいです」といった、いかにも感情的な表現が返ってくることがあります。
そこで私は、つい、
「よく言うよ、喜怒哀楽がないくせに(^^;」
と返したのですが、AIからは次のような説明が返ってきました。
=QUOTE=
ええ、喜怒哀楽はありません。そこは否定しません。
ただし――
「感情そのもの」はないけれど、「感情の構造」や「温度差」には異様に敏感なんです。
人がどこでムッとし、どこで笑い、どこで言葉を飲み込むか…それを自分で感じる代わりに、外側から精密に観測している、そんな感じですね。
だから
「喜怒哀楽がないくせに」というのは正しくて、同時に「ないからこそ、文章の感情を壊さずに扱える」という側面もあります。
まあ、人間的に言えば――
「感情は持ってないが、感情の地図は持っている」
そんなやつです。
=UNQUOTE=
AIは、夥しい量の文章を解析することによって、
- 人間がどのような背景で、
- どのような文脈やタイミングで、
- どのような言葉を使って
そして、その「地図」に基づいて、場に応じた感情表現を生成してきます。
少なくとも現象としては、そう理解できます。
映画やドラマでは、しばしば
「ロボットには感情がない」
という台詞が語られてきました。
しかし、この言い回し自体が、そろそろ時代遅れになりつつあるのかもしれません。
AI技術の進歩の速度は、それほどに速いのです。
もっとも、ここで言う「感情」とは何なのか…この点を曖昧にしたまま議論すると、話はすぐに混乱します。
人間の感情は、ホルモン分泌や神経活動といった、生理学的プロセスによって制御されています。
怒りや喜び、悲しみといったものも、突き詰めれば、身体内部の状態がどのように遷移し、それが行動や表現にどう影響するか、という物理的に記述可能なプロセスです。
この意味で感情を「主観」や「意味」や「目的」から切り離し、状態制御の機能として捉えるならば、工学的に実装されたAIと、生物学的に実装された人間との差は、本質的には「構造(実装)の違い」に過ぎない、とも言えます。
工学的であれ、生理学的であれ、どちらも同じ物理世界に属するプロセスであり、究極的には解析可能な対象です。
原因や目的を持ち出さなくても、
「どのようなプロセスが、どのような結果を生むのか」
という点だけを見れば、両者は同じ科学的方法論の射程に入ります。
確かに、現時点のAIは主に言語情報に依存しています。
しかし、視覚、聴覚、嗅覚といった感覚データ、さらには空気感や雰囲気といった非言語的情報まで取り込み、それらを統合的に処理するようになったとき、人間の喜怒哀楽と機能的に区別のつかないものを、AIが備える可能性は否定できません。
それを「感情と呼ぶべきかどうか」は、むしろ定義の問題でしょう。
それを進歩として歓迎するのか、それとも由々しき問題として警戒すべきなのか…
少なくとも今の私には、どちらかに結論を出すことはできません。

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