マリーゴールド |
(2009年9月14日にWordPress.comで公開済み)
人間の寿命の延びが既存の社会システムを超えてしまった
お名前を忘れてしまったので申し訳ないですが、家政大学の女性の教授であったような、漠然とした記憶があります。その教授が始めて言った言葉かどうかは分かりませんが、明確に記憶していることは;
「現代の多くの社会問題は、人間が長生きするようになってきたが故である」
ということです。
社会の中の人間のサイクルが、大きく変わってしまったのです。
昔々は、親は子供が一人前になり独立するようになった頃に寿命が尽きるというサイクルが一般的だったのでしょうから、特殊なケース(例えば、姥捨て山など)としてしか、老後は大きな社会問題とはならなかったのかもしれません。
ところが、社会体制が旧態依然としたなかで70~80才以上も長生きする市民が増えてきたことによって、老後が大きな社会問題となってきたわけです。
周りの諸問題をチョット思い浮かべるだけで成る程と感ずる点がありますでしょう。
しかし、問題は、
『そのような事態が訪れるということが分かっていた筈の政府(自民党・官僚)が、無作為の状態であり続けてきた』
ということです。
肉体と精神の乖離
先日、久し振りに会った70才の方と焼き鳥屋で一杯やりました。彼は、退職後も会社を設立して順調に利益をあげてきている、前向きで積極的な明るい性格の方です。
此処のところ、奥さんは膝の調子が悪く、コラーゲン(?)を注射して痛みを緩和している状態だそうで、ご本人も膝の傷みで、好きなゴルフも今ではご無沙汰しているようです。
お子さんとお孫さんには、心配な点もあるようですが、恵まれている方だと思います。
二人とも酔いが回り、そろそろ帰る時間が近づいた頃に、彼は、ホトホト疲れ果てた様子で、気楽に死ねるガス室でもあったら申し分ないんだけどねぇ…
と言い出すのです。
初めは冗談だと思ったのですが、本当にそう思っているということでした。
やるべきことはやった。
もう、義務感でやるべきことも、興味からやりたいことも何もない、というわけです。
ふと思ったのですが、
肉体的にはサイクルが長くなったが、精神的には長くなっていないのかもしれません。
肉体と精神の乖離です。
法律問題にみられるように、
現実が既存の社会システムの範疇外に飛び出してしまっているのです…
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