道端に佇む薄汚い老人が真実を語っていたとしても…

1/09/2015

マスメディア 意見 政治

勉強している子供の右となりに「真実を知る」のロゴ


ちょっと古い投稿のコピーですが…
余分な部分は削ってます。

昔々、ある大学の教授が学生達に向かって言ったそうな…

眼鏡を掛けた学者風の顔 『親のスネかじりの君たちが、如何に真実を叫ぼうと、どれだけ多くの市井の人々が耳を傾けるというのか。
 多分、誰も話を真剣に聞きはしないだろう。

道端に佇む薄汚い老人が真実を語っていたとしても、君たちは素通りしてしまうだろう。
それが現実なのだ。

頑張って勉強をして、社会で認められる人間となって初めて、社会に向かってものが言えるようになるんだよ』

確かに、今でも、それが現実ですよね。

ただ、もう一つの現実があります。
それは、既存の体制を支持し、既得権を必死で守ろうとしているマスコミを通して、大きな顔で社会に向かってものを言っている”社会で認められた人間”達が、必ずしも「真実」を語っているわけではなく、むしろ、「真実」を語ることに積極的ではないという現実です。

有り体に言えば、
既存政権の傀儡となってしまった大手マスコミの言うがままに、彼等は虚言を放出しているということです。

「真実」の片鱗を知りたいと思うなら、大手の本屋に行って探せば幾らでもその手の本はあります。
面倒臭いと思う場合も、その手のネットのサイトが沢山あります。

胡散臭いと思っても、
部分的にでも眼にに飛び込んできた刺激を記憶するなら、そのうちに成る程と思えるような場面に出会います。

誰でも自由に情報に接することを可能にしたインターネットは、意図的に形成された偏向情報を際だたせる大きな可能性を秘めています。

この、良くも悪くも氾濫するネット情報が、硬直化し、ひび割れした体制を大補修、または、変革するためのインフラとなりえます。

個人的には、サイト上で正確な翻訳が自動的になされるようになりますと、世界的に整合性の取れた、トンでもなくダイナミックな流れが起こるだろうと思っています。

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