論理的に妥当?
ここでは、良いとか悪いとかいうお話をするつもりはありません…飽く迄も、論理的に妥当な考え方かどうかのお話です。サルスベリ |
建 国
建国は、人間、あるいは、神が行うのですから、建国時に国名を決める権限を有している支配者(人間または神)によることになるでしょうね。国名変更後も継承される?
私は、国名が変わり、社会体制も変わった場合には、その前の国家が関与していたことを100%継承することは、あり得ないと考えております。厄介なのは、その支配者の地位が血縁/血族で歴史上長く繋がってしまう場合です…
その場合に、途中で国名が変わっても、その国は実質的に継続していると、考えられるのか?……これは、本当に厄介な課題です。
国の前に支配者が存在
それでも、考え方というよりは、卵が先か鶏が先かの問題にはならず、現実には、国の前に支配者(覇者)が存在します。世界の君主 (クリック拡大でご覧下さい) |
国名の意義は?
それを前提としますと、支配者の地位が血族で継承されてゆく場合、国名には、どれだけの意義があるのかが不透明になりがちです。その意義は、国家の定義内容によってバラツキそうですが、日本の場合は、国民の精神的な統一の象徴を国旗に求めると言われる米国とは事情が異なります。
日本国=天皇⇒天皇国?
私の場合は伝聞でしかありませんが、戦時中に日本兵たちが「天皇万歳!」と叫んで逝ったということは、天皇=国という精神的な同一視があると思われます。神武天皇(1946年前)より始まる社会体制の最高地位である天皇の血族継承を誇りたいのであれば、国名は日本国ではなく、天皇(国)の方が合理的です。
もし、689年の「浄御原令」に「日本」国ではなく、「天皇」国と記されていたとするなら、「倭国」と「日本国」の混同は、ある程度、避けられたと思うのです。
【ご参考】
国名変更⇒自立=主権国家
当時の国名変更のその目的は、日本国としての自立=主権国家を対外的に(主に中国に対して)表明することだったと思います。
何故なら、「倭」いう国名は、中国から与えられたものだったからです。
視点を変えて
ここで視点を変えさせて頂きます。小学校の先生は、多分今でも、低学年の生徒にとっては、ある意味、絶対的な存在です。
生徒たちは、先生の指導を、比較的従順に受け入れます。
学校=先生=天皇
まあ、先生は、彼らにとって、学校という組織の中の天皇かもしれませんね…
しかし、彼らも、成長と共に、独自の価値感を形成してゆき、それを行動に反映させてゆきます……それと共に、先生を絶対視することもなくなります。
一般的プロセスが通用しない!?
以上が一般的なプロセスだと思われますが、こと日本国となると話がややこしくなるようですね。つまり、日本国民は、精神的に成長/向上しないと見做す思想(?)があるのです…
あるいは、天皇=神=超えられない存在と素直に信じているのかもしれませんね。
天皇=神=超えられない存在?
勿論、私には分かりません…否定も肯定も出来ないということです。私が望むこと
私が望むことは、その存在が何をどう考え、何をどうしようとしているのかを知ることです。つまり、自己判断材料が欲しいのです。
出てきた結果を受け入れなさい、すべては神の御心です…という宗教のような世界に引きずり込まれたくないだけですね…
そのこと自体を否定するということではなく、ただ、それでは生きていても面白くないと思うだけです(^-^;
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