(2009年12月9日に認めたものです。記録しておくための投稿です)
先日、光TVでイラン映画の「運動靴と金魚」を途中から観ました。
貧困家庭の小学生(?)の兄妹が主人公の物語で、テーマは健気に生きる兄妹の微笑ましい愛情とでも言うんでしょうか……
途中から観たので金魚がストーリーの中でどのように絡んでくるのか分かりませんでした(^-^;
兄の所為で唯一の靴を失ってしまった妹が兄に文句を言いつつも両親には告げ口をせずに兄の大きな運動靴(古びたスニーカー)を借りて学校に行きます。
兄は妹が学校から走って帰ってくるのを途中でサンダル履きでイライラしながら待ってます。
妹と会った所で靴とサンダルを交換して兄は学校に大急ぎで駆けつけるという場面が何回も続きます。
家が貧しくて靴が買えないんです。
でも、その兄妹にはいじけた性格が微塵も感じられませんので、ストーリーに暗さがないのです。
ある日、地区の学校が集まって、長距離走(4キロ?)の競技が催されることになりました。
3位の副賞が靴であることを知った兄は、エントリー・テストに参加しなかったにも拘わらず、先生にしつこく頼み込んでテストを特別にやってもらいます。
先生が期待してしまうほど兄は速かったのです。
彼は競技で勝つ自信はあったのですが、1位ではなく、妹に靴を与えるために3位にならなければなりません。
…妹に約束したのです。
競技の当日、裕福な家庭の子供達もいます。
彼等のランニングウエアや運動靴はピカピカで、いかにも速そうです。
でも、兄は気にしているふうでもなく、3位になることだけに集中しているようです。
競技が始まり、兄は順調に順位を上げてゆき、3位の位置をキープしています。
しかし、ゴールが近づくにつれ、4位の子供がドンドン追い上げてきて、1位から4位までが団子状態になってしまいます。
兄は負けまいとする結果、1位になってしまうのです。
優勝し、先生や周りが囃し立てているにも拘わらず、兄はしょぼくれています。
打ちひしがれて家に帰った兄を見て、妹はダメだったのだと悟りますが、兄を責めるふうでもありません。
運動靴はボロボロで、靴底は破れてしまっています。
平行した別場面で、新しい仕事(庭の手入れ)で収入が増えた父が帰り道の店で子供達に新しい靴を買っています。
これで物語は終わります。
ありふれたストーリーに新鮮さを感じてしまうのは、きっと映画の出来映えが良いからなのでしょうね。
面白いことに、兄妹の親を見て長塚節の「土」を思い出してしまいました。
それから、観ていて映画の出来映えとは関係ないところで腹立ちを覚えました。
膨大な利益を上げている富裕な産油国の中の貧困とでも言うんでしょうか……
現代における政治と支配の違いを感じてしまったのです。
政治の基本要素のひとつである”配分”の観念が欠落している国には”支配”という言葉を当て嵌めるべきなんでしょうね……
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