正義は誰のものか……裁判官 vs AI

1/27/2016

IT 意見 官僚

ムスカリ
ムスカリ
原産地:地中海沿岸地方、西アジア
名の由来はギリシャ語の moschos(ムスク)で、麝香のこと

だいぶ以前から思っていることなのですが、

他人の供述や提出された証拠物件をもとに、自ら現場を検証するわけでもなく、個人や集団の将来を決定づける判決を下す裁判官という職業には、どうにも違和感を覚えます。

正直なところ、

「ようやるなあ……」

普通の神経の持ち主なら、とても務まらない仕事ではないか、と思ってしまうのです。

もしも、他人の話や証拠が捏造されたものであったり、単なる勘違いや思い込みに基づく情報であったりした場合……
そのような不確かな材料を前提に、死刑判決を下してしまう可能性を想像しただけで、私なら正気を保てそうにありません。

それでも裁判官は、職業としてそれを日常的に行っています。
人間業とは思えない判断を、制度の名のもとに淡々と遂行しているわけです。

もっとも、誰かが引き受けなければならない仕事である、という反論があることも承知しています。
ただ、そこまで割り切れるのなら、いっそのこと裁判の判決はAIソフトに任せてしまえばよいのではないかと思えてきます。

実際の裁判官たちは、
自分たちが納得するまで独自に調査を尽くすわけでもなく、提示された証拠や証言という「他人が用意したデータ」を前提に、法に定められた手続きを踏み、理論上は恣意が入り込まない形で判決に至る……
少なくとも建前上は、そういう構造になっています。

裁判官 vs AI
ChatGPTで生成

であれば、判例という膨大なデータもすでに蓄積されているわけですので、純粋に形式論として考えれば、プログラミングとしてはむしろ比較的単純な部類に入るのではないでしょうか。

加えて言えば、裁判官は慢性的に多忙で、正式な裁判手続きを最後まで踏める余裕がなく、訴訟のおよそ八割が調停という形で終結しているのが現状です。
この状況を見る限り、「裁判はソフトウェアで処理する」という発想は、効率面だけを考えれば十分に合理的です。

しかし……現実には、そうはならないでしょう。

なぜなら、裁判所という組織は、検察庁と同様に、既得権者層を守る制度装置(国家権力)の一部でもあるからです。
その役割を果たすためには、どうしても「人間の判断」、言い換えれば「恣意」が入り込む余地が必要になるのです。

意図的な操作や裁量の入り込まない、完全に工学的、論理的、非感情的なプログラムによる裁判など、この制度にとっては、むしろ都合が悪い……だからこそ、裁判は今後も「人間が行うもの」として存続し続けるのでしょう。

今の制度が既得権益を保守するために正義を捏造しているなどと、気分が悪くなるので考えたくもありません(-_-)

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