一般道を時速194キロで走行しても『危険運転』ではないのか?

1/24/2026

官僚 社会問題

青空を上昇中のANA旅客機
青空を上昇中のANA旅客機
新利根川沿いから
Canon PowerShot SX70 HS

厄年だったかのような一年が過ぎ、心機一転、新しい年に期待した矢先、病気を引きずってしまいました……。写真の飛行機のように、なんとか上昇気流に乗りたいものです。

さて、本題です。 そもそも、道路交通法において「制限速度」が設けられているのはなぜでしょうか。答えは単純で、それ以上の速度で走行すれば危険だからです。自損事故、他損事故、傷害、死亡――そうした結果が生じる蓋然性が高まるためです。

もちろん、運転能力や身体的・精神的能力には個人差があります。しかし、制限速度を定める際の判断基準は、おそらく「極めて平均的・一般的な能力」を前提としているはずです。 なぜなら、交通事故は単独事故を除けば、必ず他者との関係の中で発生するからです。いわゆる“もらい事故”が示すとおり、自分の能力に見合った運転をしていれば常に安全とは限りません。

つまり、制限速度とは、レーシングドライバーのような特殊な技能を持つ人ではなく、ごく一般的な人々が安全運転を維持することが困難になる手前の速度として設定されている、ということになります。

ここで一つの疑問が生じます。 「それなら、運転に不慣れな人を基準に、より低い制限速度を設定したほうが安全なのではないか?」

もっともな疑問ですが、ここには社会的な複雑性が絡んできます。制限速度を過度に下げれば、社会全体の活動速度が著しく低下してしまう。結果として、平均的な社会活動を維持するための“妥協”が、現在の制限速度を形作っていると言えるでしょう。 社会の中心は弱者でも強者でもありません。ただし、それは強者が他者を利用していない、という意味ではありません。 

50キロ制限速度標識さて、日本では高速道路でない一般道路の最高速度は、原則として時速60キロです。

ただし、これは右画像のような制限速度標識によって別途指定されていない区間に限られます。言い換えれば、制限標識のない一般道路では、法定速度は60キロということになります(※車種による例外あり)。

ここに、長年放置されてきた重大な問題があります。
住宅地の狭い道路や、両脇が田畑でセンターラインすら引けない道路であっても、速度制限標識がなければ時速60キロが上限――これは、どう考えても危険極まりない。

この問題にようやくメスが入り、2024年7月に閣議決定がなされました。それによって、2026年9月1日以降、センターラインのない生活道路では、最高速度が時速30キロ以下に制限されます。注意が必要です。

以上を前提に考えるなら、冒頭の問いに対する答えは明白でしょう。

一般道を時速194キロで走行する行為は、論理的に見て当然「危険運転」に該当します。
道路条件や交通状況がどうであれ、制限速度を著しく超過して走行すること自体が危険なのです。事故が起きたか否かは関係ありません。制限速度超過は、それ自体が「危険運転」なのです。これは、ほとんど自明の理と言ってよいでしょう。

ところが、ある高等裁判所は、過去の判例を踏襲し、「危険運転には当たらない」とする判決を下しました。 法曹界には、意外にも論理的思考に不慣れな側面があるのではないか、と思わざるを得ません。

なぜ、過去の判例はすべて正しい、という前提に立つのでしょうか。
誰も内心ではそう思っていないはずです。それでも判例を覆すことが、裁判所の威信を損なうと恐れられているのでしょう。

どれほど優秀な人物であっても、組織の一員である以上、その枠組みから踏み出す勇気までは持ち合わせていない――どうやら、そういうことのようです。

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